≪ 世界遺産町石道を歩き高野山へ ≫4月5日~9日

 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のうちのひとつ、

“高野山町石道”は、弘法大師が高野山を開山した道。

重厚な歴史を感じる古道を、2日間に分けて歩いた。

 

南海高野線でスタート地点の九度山駅へ。

九度山町内の見所を巡り、町石道出発点の慈尊院へ向かった。

 

 

 九度山町は、戦国時代最後の武将 真田幸村が隠棲した。

町内の見所もそれに因んだものが多い。

 

山深い紀伊山地の入り口に当たり、古き良き田舎だ。

 概ね、昭和35年頃から完全に時が止まってしまっているような自転車屋さん。

 

このオヤジさんは、57年続けてきたこの店を閉じると言っていた。

体が言う事をきかないそうだ。

脱帽、最敬礼をしたくなった。

 

この店も世界遺産の一部にして欲しい。

何気に、店舗入り口にぶら下がるカレンダーには、「仕事の味がわかるまで続ける」と。

  う~む、渋すぎる。

慈尊院は、弘法大師が高野山の表玄関に当たる当地に、高野山の寺務所として創建した。

当時、高野山は女人禁制であったため、母が息子の弘法大師に会う為に滞在した。

弘法大師は、母に会う為に、20数キロの道程を月に九度も山を下って訪ねてきた。

九度というのは、それほど頻繁にということらしく、九度山の地名の由来となる。

 

 

 町石は、慈尊院から伽藍まで180基、伽藍から弘法大師御廟まで36基。

1町が109mで、御廟まで約24㎞。

 

町石は、完成後約700年、その大半は創建当時のまま今尚立っている。

 

 

慈尊院から約1時間。

紀ノ川を見下ろす展望台に着いて休憩。

大台ケ原に源を発する吉野川が遥々下って紀ノ川となる。

大阪城築城時に、吉野杉を運搬するのに使われた。

 

 

展望台を後にすると、殆ど、この様な山間部の趣のある道が続く。

109m毎の町石の数字が一ツづつ減ってゆく。

約21㎞、109m毎にこれを据えるとは……。

想像を絶する!

 

 

 

途中、丹生都比売神社に立ち寄る。

創建は、約1700年前。

”重要文化財”。 何かしらスゴイ!

 

 

案内板や資料も豊富にあり、とても快適に歩ける。

1日で歩き通す人も結構いるようだが、約8時間~9時間掛かる。

こんなところは、のんびり味わいながら歩いたほうがいい。

 

 

一日目は、ここから一旦、上古沢駅へ下り、南海高野線で九度山へ戻る。

上古沢駅まで高低差が結構あるが、まあ、ゆっくり楽しむ為にはこれ位は我慢しよう。

 

上古沢駅へのアプローチは大変!

一度谷底へ下って、更に上り返す、激登り。

山深い里ならではの、不便さ加減がハンパ無い!

通勤に使う人なら、毎日が登山。

 

「秘境駅ランキング」上位に入る、かなり渋い駅!

ビミョ~に傾いているような…。

 

“町石道” 2日目。

昨日の上古沢駅から約1時間半登り返す。

すぐに、この2ツ鳥居がある。

高野山へお参りする人が、ここから昨日の丹生都比売神社を拝んだそうだ。

 

 

 

高野山入り口の「大門」に着いた。

“重要文化財”。

 

  山麓の慈尊院180町石から遡り、ここ根本大塔にて1町石となる。

ここから更に、弘法大師御廟まで36町石を辿る。

根本大塔は、標高約900mの山上の盆地に、壇上伽藍と称する聖地にあり、

そこには様々なお堂や塔が立ち並び、仏像や曼荼羅が参拝者を迎える。

 

 

4月10日、

金堂庭儀大曼荼羅供。  “荘厳”

 

期せずして、この錦絵巻を見学できた。

この後、高野山の核心部を歩く。

 

 

 

 

  金剛三昧院。

 

境内には、何気に国宝がある。

  

 

 

 

 日本史上の、錚々たる人物の慰霊碑および墓が並ぶ。

 

 

     「五輪塔」

 

 もののふ達の魂がひっそりと眠る。

 

 

 

            高野山駅。

 

       足掛け6年 お遍路の旅、終着駅。 

 

  これにて、結願。

 

  合掌。


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