世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のうちのひとつ、
“高野山町石道”は、弘法大師が高野山を開山した道。
重厚な歴史を感じる古道を、2日間に分けて歩いた。
南海高野線でスタート地点の九度山駅へ。
九度山町内の見所を巡り、町石道出発点の慈尊院へ向かった。
九度山町は、戦国時代最後の武将 真田幸村が隠棲した。
町内の見所もそれに因んだものが多い。
山深い紀伊山地の入り口に当たり、古き良き田舎だ。
概ね、昭和35年頃から完全に時が止まってしまっているような自転車屋さん。
このオヤジさんは、57年続けてきたこの店を閉じると言っていた。
体が言う事をきかないそうだ。
脱帽、最敬礼をしたくなった。
この店も世界遺産の一部にして欲しい。
何気に、店舗入り口にぶら下がるカレンダーには、「仕事の味がわかるまで続ける」と。
う~む、渋すぎる。
慈尊院は、弘法大師が高野山の表玄関に当たる当地に、高野山の寺務所として創建した。
当時、高野山は女人禁制であったため、母が息子の弘法大師に会う為に滞在した。
弘法大師は、母に会う為に、20数キロの道程を月に九度も山を下って訪ねてきた。
九度というのは、それほど頻繁にということらしく、九度山の地名の由来となる。
町石は、慈尊院から伽藍まで180基、伽藍から弘法大師御廟まで36基。
1町が109mで、御廟まで約24㎞。
町石は、完成後約700年、その大半は創建当時のまま今尚立っている。
慈尊院から約1時間。
紀ノ川を見下ろす展望台に着いて休憩。
大台ケ原に源を発する吉野川が遥々下って紀ノ川となる。
大阪城築城時に、吉野杉を運搬するのに使われた。
展望台を後にすると、殆ど、この様な山間部の趣のある道が続く。
109m毎の町石の数字が一ツづつ減ってゆく。
約21㎞、109m毎にこれを据えるとは……。
想像を絶する!
案内板や資料も豊富にあり、とても快適に歩ける。
1日で歩き通す人も結構いるようだが、約8時間~9時間掛かる。
こんなところは、のんびり味わいながら歩いたほうがいい。
一日目は、ここから一旦、上古沢駅へ下り、南海高野線で九度山へ戻る。
上古沢駅まで高低差が結構あるが、まあ、ゆっくり楽しむ為にはこれ位は我慢しよう。
上古沢駅へのアプローチは大変!
一度谷底へ下って、更に上り返す、激登り。
山深い里ならではの、不便さ加減がハンパ無い!
通勤に使う人なら、毎日が登山。
「秘境駅ランキング」上位に入る、かなり渋い駅!
ビミョ~に傾いているような…。
“町石道” 2日目。
昨日の上古沢駅から約1時間半登り返す。
すぐに、この2ツ鳥居がある。
高野山へお参りする人が、ここから昨日の丹生都比売神社を拝んだそうだ。
高野山入り口の「大門」に着いた。
“重要文化財”。
山麓の慈尊院180町石から遡り、ここ根本大塔にて1町石となる。
ここから更に、弘法大師御廟まで36町石を辿る。
根本大塔は、標高約900mの山上の盆地に、壇上伽藍と称する聖地にあり、
そこには様々なお堂や塔が立ち並び、仏像や曼荼羅が参拝者を迎える。
4月10日、
金堂庭儀大曼荼羅供。 “荘厳”
期せずして、この錦絵巻を見学できた。
この後、高野山の核心部を歩く。
金剛三昧院。
境内には、何気に国宝がある。
日本史上の、錚々たる人物の慰霊碑および墓が並ぶ。
高野山駅。
足掛け6年 お遍路の旅、終着駅。
これにて、結願。
合掌。